「変われるってムテキ」を世界中に。
それが、私たちスピンズのVISIONです。
世の中に服屋さんは星の数ほどあれど
私たちスピンズは「変われるってムテキ」を伝えたい服屋さん。
自らが変わっていくことで、自分の人生をクリエイトし
ワクワクを世界に伝えていく。
このインタビューは、そんな私たちの「変われるってムテキ」物語です。
今回はSPINNSのローカル事業「TANEMAKI」で活動する大学生 先野綾美さんのコラムを紹介します。
SPINNSとの出会い
私は何に影響を受けたのかなどは定かではありませんが、小さいころからオシャレをすることに興味がありました。
小学生になるとファッション雑誌を買うようになり、雑誌のモデルさんが着用している洋服やコーディネートを参考に洋服を選ぶようになりました。
高校を卒業するまでは山口県(山陰側の田舎)に住んでいましたが、都会にあるようなティーン向けの洋服屋さんはありませんでした。
そのため、休日や長期休みに親や友達と隣県である福岡の小倉や天神に洋服を買いに行っていました。
当時の天神には天神コアというファッションビルがあり、雑誌に載っているブランドの洋服屋さんが沢山入っており、私にとって聖地のような場所でした。
SPINNSは天神コアの最上階の8階にあり、フロアのほとんどを占める大きなお店で、店舗の雰囲気も鮮明に記憶に残っています。
雑誌でSPINNSの洋服もチェックしていたため、コアに行く時は必ずSPINNSに行って、洋服や雑貨を購入していました。
当たり前ですが、数年後に私がTANEMAKIで活動をし、SPINNSに携わることになるとは夢にも思いませんでした。母も「SPINNSってコアの中にあって一緒に行っていたお店だよね?懐かしいね!」と言われ、憧れていたSPINNSで働けることが純粋に嬉しかったです。
SPINNSローカル事業「TANEMAKI」に携わったきっかけ
大学で所属していたゼミの同期生の地元である長崎県島原市でイベント出店を行うことになり、その同期生本人から誘われたのがきっかけです。
出身地柄、元々地域活性やローカルコミュニティといった、地方に関係することに興味があったことから、学部やゼミを選ぶ中での1つの軸にしていました。
若者向けの洋服屋がない地域で人気のアパレルブランドであるSPINNSが出店したら、地域の人はどういう反応をするのだろう、洋服は売れるのだろうか…と書いてしまうと、当時はジブンゴトとして捉えきれてなかったのがバレバレなのですが…(笑)、商売は成立するのかとても興味がありました。
しかし、出店に向けて準備を進めていく中だったり、出店当日に販売員としてお客さんに接客して洋服を販売していく中で自分自身の″想い″に気づきました。
日本国内ではアパレルショップがない地域は数少なくありません。コロナの感染拡大やインターネットの発達といった時代やツールの変化もあり、通販で洋服を購入する人が増えてきています。私もよく利用しています。
島原でのイベント出店にて、親子や友達同士で「この服かわいい!」「これ似合うかな?」などと会話をしながら楽しそうに手に取って洋服を選ぶ姿がとても印象的でした。
通販は時間や場所に関係なく洋服が購入できるという利点がありますが、手に取って洋服を選ぶ楽しさは通販では体感できません。
アパレルショップは単にお客さんに対して洋服を販売することで価値を創出しているのではなく、接客の中で発生する店員さんとのコミュニケーションだったり、ブランドそのものの価値だったりと、様々な価値を創出していると思いました。
上記にもありますが、地元に洋服屋がない私も、親や友達と憧れのアパレルショップに来店して、何気ない会話をしながら手に取って洋服を選ぶ時間は、とても楽しかった記憶があります。
だからこそ、洋服屋さんがない地域の子に″手に取って洋服を選ぶ楽しさを知ってもらいたい″、そして、″自分が好きなアパレルという手段を用いて地域づくりに関わっていきたい″という想いが生まれました。
TANEMAKIでの活動
TANEMAKIで活動を始めるきっかけとなった島原でのイベント出店を皮切りに、福岡県飯塚市、宮崎県延岡市、大分県日田市、長崎県壱岐市で出店活動を行いました。
延岡出店は地元の企業さんとコラボしたり、日田出店と壱岐出店は福岡大学商学部のゼミが行なっているアントレ教育事業とコラボしたりと、地元の高校生や大学生といった若者も巻き込みながら活動しました。
その中でも福岡県飯塚市での出店は、私が主体となってSPINNSを地域に呼んで行ったプロジェクトとなりました。
当時はコロナウイルスが蔓延していたため、集客や地元の方の理解にハードルを感じていましたが、飯塚市で地域づくりをしている方たちのバックアップだったり、地元の新聞メディアだったり、出店地となった商店街の方々の理解と協力で、当日は多くのお客さんが来店して下さいました。
飯塚では反響が大きかったこと、出店条件が良かったこと等々のことから、初めて出店を行ってから4ヶ月後の6月頃から常設店舗を目指して毎月出店を行うことになります。
毎月のイベント出店や地元高校の文化祭コラボなどを経て、商店街にある旧書店さんの空き店舗にて、古着回収・循環の店舗「TANEMAKI」を今春を予定にオープンすることになり、TANEMAKI事業において大きな収穫を得ることができたと思います。
携わった中で印象に残ったこと
TANEMAKI活動では各地に足を運びましたが、その地域のご飯屋さんや観光名所にも行きました。
ただ単に私が食べ物や旅行が好きだからと、はしゃいでいたわけではありません(笑)
その地域ならではの美味しいご飯を食べたり景観に触れることで、その地域の特色や魅力を感じることができました。
よそ者ながらに、地域との心理的な距離を縮めることができたのではないかと思います。
個人的に訪れてまた食べに行きたい、と思っている私は各地域の関係人口になれているのではないかと思います。
TANEMAKIでの活動で、一方的にアパレルを介して地域と繋がるだけでなく、地域の″ひと″や″もの″を介して地域と私達の心の繋がりも築くことができました。
また、地元の高校生を巻き込むことが多かったため、各地で沢山の高校生と関わりました。
そもそも洋服に興味がない、洋服を着る機会がない、親が選んだ洋服を着る、洋服は好きだけどお店がない、ネット通販を利用している等々、地域によって高校生の洋服事情は様々。
出店活動に参加した、あまり洋服には興味がないと言っていた高校生が、遊びに来た家族や友達に「これどう?」と接客していた子や、出店活動がきっかけで将来私もアパレル店員になりたいと言っていた子、洋服の畳み方をマスターしたから家でも実践してみますと言っていた子…
アパレルを通して人が″変わる″場面をたくさん見ることができ、そのこともまた私にとって活動のモチベーションとなっていました。
これは余談なのですが、先日正月休みで帰省してきた弟に洋服を選んであげました。
弟は現在高校生なのですが、普段は部活一筋で寮生活を送っています。そのため、持っている服は学校の制服とスポーツウエアのみ。実家に住んでいた頃も全く洋服に興味がなかったため、今までの人生でオシャレをすることはありませんでした。ところが、都会出身の先輩に感化されたのもあって、洋服が欲しいと言ってきました。
どんな服が良いかは分からないから私に選んでほしいとのことで、メンズコーデは得意ではないのですが、販売経験で得たセンスを最大限に活かして似合いそうなのを見繕って全身コーディネートをしました。
喜んでもらえたことはもちろん嬉しかったのですが、環境のせいでオシャレをするというカルチャーがなく、オシャレをする楽しさを知らない子が沢山いるという課題も感じました。
あくまでも自論ですが、オシャレをする=遊んでいる、というマイナスなイメージはナンセンスだと思います。
私が、お気に入りの洋服を見つけたとき、鏡の前でコーディネートを考えるとき、新しい洋服を着て出かけるとき、友達にコーディネートを褒められたとき、とても満たされますし、自分に自信が持てますし、洋服次第でその日の気分や生活がワンランクアップしたような気持ちになります。
洋服に限らず、カフェや今流行っているサウナなど、個人個人が自分の価値としていることやものに対して同様のことが言えるのではないでしょうか。
ですが、″衣食住″というように、洋服は人間が生きていく上で欠かせないものです。
だからこそ、″衣″(洋服)を楽しむことは結果として生活の豊かさを高めることに繋がると思います。
だからこそ、1人でも多くの人に、環境に左右されずに気軽に洋服を楽しむことができる場作りだったり、サービスを提供していく、このTANEMAKI活動に意義があるのだと思います。
SPINNSと関わる前と後でSPINNSのイメージで変わったこと
SPINNSでTANEMAKIの活動を始めるまでは、私もSPINNSの一顧客だったため、時々店舗に洋服を買いに訪れていました。
HPやショッパーにも記載がある文章を見て頂いたら分かると思いますが、SPINNSは”共感”を全面的に打ち出していると思いました。
″変われるってムテキ″、″Attitude Makes Style!″をコンセプトにしており、店舗の雰囲気や商品、店員さんからもそれが伝わってきます。
多様性が謳われる時代の中、公共の福祉の下、個性や主張を尊重することが求められます。
SPINNSはまさにそれをアパレルというコンテンツを介してお客さんに伝えていて、共感を得ることで、ファンになってもらったり長く愛されていくショップを作っているんだと感じました。
私もSPINNSのコンセプトには大変共感していて、これからもSPINNSの顧客であり、ファンでいたいと思います。
変われるってムテキ
昨年末にSPINNSローカル事業部の宮崎さん、一緒に活動する大学生の古賀くんと忘年会をしたのですが、帰り道に宮崎さんに私が言った「自分に自信がついた」という事がこの1年で自身が「変われた」部分だと思います。
私は元々自己肯定感が低く、自分に自信がありませんでした。
「どうせできないから」「私は下手だから」と自己肯定感が低い故に物事に取り組むことに対しても消極的な部分がありました。
高校生の時は弓道をしていましたが、弓道はメンタルが大いに影響するため、自分自身のマインドのせいで的を射抜けなかったことが多々あります。
容姿も、身長が高いことや骨格的に顔が丸いことがコンプレックスで、例外として洋服にはこだわっていましたが、メイクやヘアカラーはどちらかと言うと控えめでした。
しかし、TANEMAKIと出会い一緒に活動をするようになって、出店地域の方や事業で携わった方から、感謝やお褒めの言葉を頂いたり、新聞メディアにインタビューを受けて写真付きで取り上げて頂いたこと、何よりもお店に来て下さったお客さんが楽しそうに洋服を選んでいる姿や喜んで下さっている姿を目の当たりにすることができました。
その状況を作り上げることができたのは、決して私1人の力ではないですが、「私でも人に影響を与えたり喜んでもらえることができるんだ…!」と思えたことをきっかけに少しずつ自分に自信がついたと思います。
その表れなのでしょうか(?)、人生で初めて全頭ブリーチをして髪は金色、それに合わせてメイクも変え、服は身長が高いが故に敬遠していたミニスカを、ヒールのあるロングブーツと合わせて着るようになりました。
各地での催事終わりには必ず文章にしてアウトプットするようになりました。
TANEMAKIのHPにて活動報告の記事を書く仕事もさせてもらい、言葉にして伝えれてたことも自信を持つことにつながったのではないかと思います。
今年は就職活動があり、TANEAMAKIの活動に携わる事は少なくなってしまいますが、「自分に自信がついた」ことが、これから就職活動を行う上での武器になると思っています。堂々と胸を張って自分自身をアピールしていきたいです。
出店地にはTANEMAKIトラックで宮崎さんと出向くことがほとんどで、長い道中色々なお話をしました。
宮崎さんは、SPINNSという企業の方としても人生の先輩としても尊敬しています。卒業は来年ですが、私の大学生活での財産に、″宮崎さんと出会えてTANEMAKI活動ができたこと″を挙げると思います。
私をTANEMAKI事業に入れて下さった宮崎さんや、活動で関わって下さった全ての皆様に大変感謝しております。
最後までこの記事を読んで頂きありがとうございました!